変な人 ~人間はみんな変だ~
普通と変の違いってなんだろう
世界にはたくさんの様々な人間がいる。
その中でも普通と呼ばれたり、変と呼ばれる人がいる。
その違いはなんだろう?
そもそも普通と変の違いってなんだろう?
誰かが常識みたいなのを決めてそれから外れると変になるのだろうか?
法律や道徳や常識を守るのは当然…?
法律も一体なんなのだろう?
立法権、行政権、司法権の中の立法権により法律は国会でつくられる。
国民が国民代表の国会議員を選挙で選び、その国会議員が内閣総理大臣を指名し、国会や内閣が法律をつくっている。
だが国会議員が法律を守らずに賄賂の受け取り等の違法行為で逮捕されるケースや、芸能人でも法律には違反していないが不倫等のいわゆる不貞行為をおこなって炎上するケースが増えてきている。
国会議員や芸能人が法律や不貞行為を守れないのはなぜのか?
本音と建て前
なぜ法律や道徳が生まれたのだろう。
原始生活から現代に至るまで人間は集団生活で社会をつくっている。
もちろん私のような孤独な人間もいるがそれはまた別の話だ。
おそらく集団生活をする中で犯罪者や不貞行為をおこなう者がいると集団生活が崩壊してしまので、社会を守るために法律や道徳観をつくっていたのだろう。
しかし違法者や不貞者の報道は後を絶たない。
発覚していない犯罪者も含めるとその数は膨大になるだろう。
私自身もこの人生で小さくとも違法行為や不貞行為をおこなったことがないと言えば嘘になる。
いくら偉そうなことを言ってても、結局私自身もダメダメな人間なのだ。
人間は食欲・睡眠欲・性欲の他にも金欲・承認欲求・犯罪欲求など様々な欲がある。
結局のところこれらの欲は、その人間個人が持つ生物的な本能なので、本能に抗えずに違法行為をおこなう人間が犯罪者となってしまう。
自分のロッカーに誰かの1億円がポーンと置いてあったり、家庭を持ってても目の前に完璧な理想のルックスの異性が好意を持って近づいてきたらどうなるのだろうか?
法律や世間体を考えて欲求を理性で抑えるのが人間なのだが、心の中の本音と建て前が揺れ動く場面にみんなも毎日出会っているのかもしれない。
通常と異常
世間から厳しい目で見られている国会議員や芸能人でさえ本能的な欲求に逆らえないことがあるんだ。
これはいわゆる常識からは逸脱しており「変」と言われてもおかしくはない。
聖職と言われてきた教師ですら様々な異常行動により事件を起こしているが本当の世の中だ。
つまり世の中のほとんどの人間は心の中に「変」になる要素を持って生まれていると私は思う。
法律や常識から逸脱する能力と言っていい。
しかし多くの人間は自分自身のことは棚に上げて、例えば政治家が大きな間違いを犯した時に、その政治家を吊るし上げ袋叩きにする。
いわゆる炎上だ。
だがこの政治家と同じように普通じゃない状態になってしまう可能性は、誰だって持っているのではなかろうか。
明日は我が身かと思うか、自分は聖人だと思いこんでいるかの違いだと思う。
そもそも真の聖人は叩くことすらしないだろう。
変な人が好き
だが私は変な人が好きだ。
考え方が独特だったり、時には異常な行動と思われることをしている人がなんか好きだ。
これは法律や道徳を逸脱していない範囲に限られるが、普通と違う心の人物は魅力的だと思う。
これにはさらに条件があって、「変」に「純粋さ」が加わっている人がとても好きだ。
ビートたけしフライデー襲撃事件の結果や原因は、法律的にも倫理的にももちろん良くないことだろうが、それだけでは片づけられない何かがある。
たけしの言葉や行動は常に筋が通っていると言ってもいい。
不倫を擁護する気はないが、言動から一貫性と純粋さを感じられる。
悪いことをするのは良くないと分かっているが、それを抑えられない時もあるのが人間だ。
そして私も自分自身を「変」な人間だと思っている。
しかしまだまだ精進が足りないので、もっと「変」と「純粋さ」に磨きをかけてライフワークに打ち込んでいきたいものだ。
世の中は本当は「変」な心の人間でいっぱいだ。
本音はどう思っているかなんて誰も分かりはしない。