BGMの必要性
映像と音楽
映画やCM、テレビドラマ、アニメ等から流れてくる音楽を、聞かない日はほとんどないだろう。
映像と音楽は共に進化を続けてきた。
無声映画の劇場生演奏から、クラシック映画の甘美なメロディー。
悲しい場面では泣くようなヴァイオリンが…。
怒りの場面では重厚な金管楽器が。
盛り上げたい場面では激しく打ち鳴らされるティンパニが!
昔から映像と音楽は切っても切り離せないものであった。
絵画や写真等は一目惚れという言葉があるように、一瞬見るだけでもある程度の評価を下せる場合がある。
音楽は時間が流れてなければ全貌が分からない。
1秒だけ聞かされてもよく分からないのである。
映像も一枚を抜き取れば写真だが、時間の流れと共に動く写真により映像となる。
BGMを使うべき場面
テレビドラマやアニメで、ひっきりなしにBGMが流れている作品がある。
これは視聴者の想像力を下げ、退屈させる要因となる。
使い方を間違えた音楽はなんとも可哀想なものだ。
常にフォルティッシモの音楽が味気なく感じるのと同じように、BGMを使うべき場面にも緩急が必要なのだ。
空白・無音を重要視し、BGMを流さない勇気も大切なのである。
BGMが流れていない時の映像は、視聴者の想像力を駆り立てる。
無音の時間があっても良い。
セリフだけの時間があっても良い。
そうした音楽の空白をつくると、我々の心の中で、映像の登場人物や事象を考えられる時間ができる。
やたらめったらに悲しみ・怒り・喜びの感情を、BGMにのせて制作者側から押し付けられることは退屈である。
本当に必要な場面で、映像と音楽が完全に調和し感動が生まれるようにBGMを使おう。
BGMの考え方
BGMの制作においても、ただ盛り上げるだけではなく映像との調和を大切にするべきである。
過去に比べて現代では、映像の進化とともに音楽は抽象的になってきている。
映像も音楽どちらも、濃厚な味付けで過食気味ではお腹いっぱいになってしまうからだ。
映像とのバランスがBGMには求められるのだ。
映像にあわせて、音楽家はベストなメロディーを選択し作曲しなければらない。
印象的だが映像の邪魔をせず、お互いをより良いものにする。
そんな音楽が最もBGMに適している。
これからもじっくり勉強し、心に残るBGMをつくっていきたいものである。