音楽家の限界・引退
音楽についていつも何かしら考えている。
今の考え方も数か月後には変わっているかもしれないので、一つの個人的な覚書と思ってほしい。
音楽家の限界や引退とは何なのだろう。
まずは音楽家としてどのように生きたいかを考えてみる。
どのような音楽家でありたいか
音楽家の限界を考える前に、自分はどんな音楽家でいたいのかを書く。
まず真っ先に頭に浮かんだのが、XやYouTubeでコード進行や機材使用方法などを解説者のように語る音楽家にはなりたくない。
小賢しい知識やテクニックをXやYouTubeに投稿して満足するような音楽家には絶対になりたくない。
自分の副業でもあるので言い難いが、音楽講師という業種も本当に朧気で実体がないものだ。
真の歌手はボイストレーナーにはならないし、真のアーティストはコードをひけらかしたりしない。
ぐうの音も出ないぐらい圧倒的な音楽をただつくり続ける音楽家でありたい。
完成した作品を宣伝する場としてSNSを活用することはとても素晴らしいと思っている。
音楽は誰かに聞いてもらわないともったいない。
個人的に尊敬する音楽家は多くを語らない人が多い。
そして彼らはみんながよく使うコード進行や機材の使い方よりも、常識を覆すような新しい音楽に挑戦したがっている。
もっと音楽に対してハングリーだ。
自分もたぶんそうだ。
ただ良い音楽をつくり、みんなに聞いてもらいたい。
音楽家が限界を迎え引退する時
音楽家が引退を考えるのはどんな時だろう。
作品の人気がなくなって誰にも聞いてもえなくなった時?
能力が落ちて作曲できなくなった時?
メディアや視聴者の評価が変わった時?
この3つは連動しているような気もする。
人気作曲家がトレーニングを怠ったり、時代の流れにのることができずに衰退してしまうパターンだ。
ただしこれは常日頃の音楽に対する努力でクリアできる。
本当に音楽を愛する人達が限界を感じる時は、やはり肉体的な衰えからくるものが多いだろう。
つまり死ぬまでが音楽道なわけだ。
けして死ぬまで自分の作品に満足せず、音楽に対し感謝と謙遜を持ち、もっともっと努力を続けること。
今の自分自身を肯定することは良いが、作品の自己評価を高くして驕ってはならない。
音楽を心から愛する者は、たとえ作品が評価されなくなっても常に修行・精進するのみだ。
死ぬまで音楽家の限界・引退はないんだ。
肉体的なこと以外でもし限界を感じたとしたら、それは精神が弱くなったのか、音楽を心から愛していないかのどっちかだ。
尊敬すべき偉大な音楽家達は最期が来るまで自分の作品に満足できず、そして限界を感じていなかったであろう。
人生の終わりこそが真の音楽家の引退だ。